絵本の出版支援をしていた頃の話ですが、イタリア北部の都市ボローニャで1964年以来毎年世界で唯一の子どもの本専門の国際見本市「ボローニャ・チルドレンズ・ブックフェア」が開催されており、同時に原画展も開催されます。(日本の通称:ボローニャ国際絵本原画展)
 期間中には絵本作家や編集者などが世界各地から来場します。ここに絵本作家の発掘を目的として通って、その出版に関わっていました。
 ボローニャとその周辺は「モーターバレー」「パッケージングバレー」としても名高く、数多くの有名企業が集積しています。空港にはランボルギーニの展示ブースがありました。(グッズもありましたが、これまた高くてシールしか買えませんでした。)

 実は、イタリアでは本来の目的ではない「美術館」にも多く行きました。いうまでもなくイタリアでの豊富さは見飽きる暇などありません。かつて「石膏像で描いたラオコーン像」と「本物の代理石像」とは全く違う迫力でした。


画像出典:Wikipedia / 写真:ウィキメディア・コモンズのファイル:(CC BY-SA 4.0)に基づき利用(パブリックドメイン)

   

 

石膏像もダイナミックさは伝わりますが
比較するとあまりにも違った物でした。

 この像には多くの逸話があります、そもそもはギリシア神話のトロイア戦争における神官ラオコーンの悲劇が題材です。1506年にローマで『ラオコーン像』が発掘された際、ミケランジェロは現地に急行してその姿を直接目にし、のちのルネサンスからバロックへの芸術表現に大きな衝撃と変革を与えました。

ラオコーン像とミケランジェロの関わり

  • 発掘への立ち会い:1506年1月14日にローマ(トラヤヌス浴場付近)で『ラオコーン群像』が発見されると、ミケランジェロはすぐに現場へ呼び寄せられ、その肉体表現や苦悶の表情を目の当たりにしました。
  • 作品への影響:このヘレニズム期のダイナミックな人体表現と苦悩のエネルギーはミケランジェロに深い感銘を与え、1513年以降に制作した《瀕死の奴隷》や《反抗する奴隷》などの傑作にその動的な表現が取り入れられました。
  • 失われた腕を巡る推測:発掘時、ラオコーン像の右腕は欠損していました。ミケランジェロは「右手を頭の後ろに回している」と正確に推測していましたが、当時の補修監督だったラファエロらは腕を高く突き上げる形に復元しました(のちに1906年に本来の曲げた腕の断片が発見され、1950年代に正しい形に修正されました)。
ミケランジェロの石膏像
画像出典:ウィキメディア・コモンズ(パブリックドメイン)

ローマのバチカン美術館内にある「ピオ・クレメンティーノ美術館(八角形の中庭)」にあります。
 なお、2026公開の初の全編IMAXフィルムカメラ撮影作品『オデュッセイア』と《ラオコーン像》には、
「トロイア戦争」という共通の神話が背景にある、という意味で深い関係があります。

神話の逸話(トロイアの木馬)

  • 警告: トロイアの神官ラオコーンは、ギリシア軍が残していった「トロイアの木馬」の中には罠があることを見抜き、市民に「ギリシア人から贈られたものを信じてはならない」と強く警告しました。
  • 神の怒り: トロイアを滅ぼしたいと願う女神アテーナー(またはアポローン)は、ラオコーンの警告を邪魔だとみなし、海から大蛇(大ウミヘビ)を送り込んでラオコーンと2人の息子を締め殺させました。
  • 最期: ラオコーンが苦悶の表情を浮かべながら息子たちと共に大蛇に巻きつかれて死んでいく姿が、この像のモティーフとなっています。

彫刻にまつわる歴史・逸話

 レッシングの『ラオコーン』 18世紀にはドイツの劇作家・哲学者レッシングが、この彫刻と文学(詩)の表現の違いを論じた美学論『ラオコーン』を発表し、近代の芸術論に大きな影響を与えました。彼のいう違和感は「レッシングの論争」として有名です。この違和感は大蛇に締め付けられているのに叫んでいない(苦悶を抑えているように見える)ことや、デッサンで描く際に極端な捻りや複雑な筋肉の構造が崩れやすいこと(※ 下記)にあります。 
 1506年の発見 紀元前1世紀頃に作られたとされるこの大理石像は、1506年1月14日にローマの地下(トラヤヌス浴場跡やネロ帝宮殿跡付近)で発見されました。
 ミケランジェロへの衝撃 出土に立ち会った巨匠ミケランジェロをはじめ、ルネサンス期の芸術家たちに強烈な衝撃と影響を与え、その後のバロック美術への転換点となりました。
 右腕の修復の変遷 発見当時は右腕などが欠損しており、16世紀にまっすぐ伸びた形で復元されましたが、1906年に本来の曲がった状態の右腕の破片が発見され、1950年代に現在の正しい形に修正されました。


1. 「胸」と「お腹」の向きが完全にズレる(ねじれの難しさ)

 人間の体を描くとき、基本は「胸(胸郭)」と「腰(骨盤)」の箱の向きを合わせます。しかしラオコーン像は、お腹を右に突き出しながら、上半身(胸)を左上へと激しく引き上げて捻っています。

  • なぜ崩れるか: 首の付け根がどこに刺さっているのか、胸がどちらを向いているのかという「中心軸(正中線)」が3次元的に歪むため、少しでも線の角度が狂うと、全体のバランスが瞬時に破綻してしまいます。

2. 筋肉が「引き伸ばされ、縮む」ことで形が変わる

 ラオコーン像の腹筋や胸筋は、解剖学の教科書にあるような左右対称のきれいな形をしていません。

  • なぜ崩れるか: 体を捻り、大蛇と戦って力を入れているため、片側の筋肉は限界まで引き伸ばされ、もう片側はギュッと圧縮されて潰れています。描き手が「腹筋はこういう形」という頭の中の思い込み(記号化)で描いてしまうと、実際の歪んだリアルな筋肉の連動を捉えられず、不自然な「ガチムチのパーツを張り付けただけ」の絵になってしまいます。

3. 線ではなく「面の変化(陰影)」でしか構造が表せない

 大蛇の締め付けによる皮膚の食い込みや、極限まで張り詰めた筋肉の起伏は、明確な「輪郭線」で区切られていません。

  • なぜ崩れるか: 筋肉の盛り上がりは、光が当たる「面の向きが変わること」でできる繊細なグラデーション(陰影)によって表現されています。初心者が「ここが腹筋の境界線だ」と線を引いてしまう(記号化する)と、石膏の硬い立体感が失われ、途端にデッサンが崩れて嘘っぽくなってしまうのです。

レッシングが論じたように、文学なら「大蛇に巻かれ、引き裂かれる苦痛」を時間の流れの中で描写できますが、彫刻(造形芸術)は「たった一つの瞬間」にすべてを込めなければなりません。